日記

古処山
2018.03.23

英彦山(ひこさん)へのアプローチを考えていた計画当初、ルートをどうするか悩んでいた。地図を見てルートを調べていると、英彦山系には昔の修験の山と道が今も残っていることを知った。それは城下町の秋月から始まる古処山(こしょさん)と、その先の屏山(へいざん)、馬見山(うまみやま)へと続く縦走路だった。

秋月はちょっとした小京都のような雰囲気があり、城址跡の前は、桜の街道となっていた。満開になると毎年たくさんの観光客で賑わうそうだ。通りの茶屋では、忍者(正式には間者と言ったそうだ)の歴史や手裏剣を投げる体験をしたり、秋月の歴史にも触れることができた。
秋月でのんびりしすぎたために、1日のメインとなる登山が、後半はかなり時間に終われることになってしまった。

そんな中、古処山だけは時間の許す範囲で、少しだけゆっくりと見ることができた。同じ霊山でも修験の道が尾根を行くのか、谷を行くのかではかなり印象が変わってくる。古処山は八合目付近にある水舟までは、急な谷間を登っていくため、道は荒れて修験の名残は少なかったが、どんな大水でもびくともしなかったであろう岩には苔むした菩薩像が数体あったり、水舟と呼ばれる場所は岩の割れ目よりこんこんと水が涌き出ていたりと修験の山だったことを感じる場所もあった。
そして、一番驚いたのは九合目付近から急に山の雰囲気が変わったこと。それは、国の天然記念物にもなっているツゲの原生林だった。初めは背丈の低い木だけがツゲだと思っていたら、見上げると頭上をおおう木々も、ツゲが大きく成長したものだとわかった。
本来ならブナが育つ標高なのだが、山頂部がむき出しの石灰岩で形成されているために、ブナが育つ環境ではなかったそうだ。太陽の光を浴びて鮮やかな緑がとても綺麗だった。

そして、山頂は昨日とは一転、暖かく気持ちが良かった。
山頂の石灰岩は、長い年月をかけて雨などに侵食された形跡があり、特徴的な形を成していた。
古処山から先は、まさに修験者のように屏山、馬見山へと駆け抜けた。
小石原に下りるまでの縦走路は脊振山系よりもコンパクトなサイズだが、古処山からの植生の変化は見事で、歩く者を飽きさせない。昨年の豪雨による爪痕がまだまだ残る小石原を抜けて、英彦山の麓へとたどり着いた。

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