日記

ゴミ=資源
2020.01.24

歩く道端には必ずと言っていいほど、一般的に「ゴミ」と呼ばれるものが散乱している。
誰しもが、学校で「ゴミはごみ箱に入れる」と教えてもらい、学校行事としてゴミ拾いに参加したことがあるだろう。そして、「なんで(ゴミ箱ではないところに)捨ててしまうのか。」「ゴミを道端に捨てることは良くないことだ」と一時であっても強く感じたはずだ。
しかし、現実は違う。
空き缶、ペットボトル、タバコの吸殻、様々なものが人の手を離れて野に放たれている。この光景を目にすれば、学校での教育が失敗であったと言わざるを得ないだろう。
そして、そもそも自分にとって不要になったモノは本当にゴミなのだろうか?否!違うだろう。ゴミ=資源だ。
地球からいただいた資源から、自分達人間が様々な技術を駆使して、様々なモノへと作り変えている。飲みたいもの、食べたいもの、着たいものなどを包む包装紙や袋、容器など、中身だけではなく、それら全てに価値があるのだ。

地球からいただいたモノはちゃんともとの姿に戻して返さなくてはいけない。なぜなら、資源は無限ではなく有限だからだ。
それに、「ゴミ=汚いもの」というイメージが強くあるだろう。汚くしているのは人間であり、大切な資源と考えれば、全く汚いものではなくなるはずだ。
人間が欲望のままに資源を貪り続ければ、未来はない。昨今の温暖化に伴い、エコや環境問題に、世界各地で若い人たちが立ち上がり始めた。しかし、日本の若者が団結している姿は目にしない。そして、残念なことに、国としての危機感もあまり感じない。
小さな国にも関わらず、プラスチックの排出量は世界でトップクラス。日本産のプラスチックが世界中の海洋汚染をしてしまう日もそう遠くないだろう。

ここ5年で日本中を約3万キロほど歩いてきたが、見かけるゴミで一番多いのはタバコの吸殻、ついでペットボトル、空き缶、プラスチック製品だ。
どれも、リサイクルできる資源ばかり…。
今日、久しぶりに歩道を歩きながら、200メートルほど資源拾い(ゴミ拾い)をしてみた。大きなビニール袋があっという間にいっぱいになった。

どこか、ゴミ拾いは汚いカッコ悪いというイメージないだろうか。資源拾いと考え方を変えればどうだろう。きっと足元に転がる缶やペットボトルにスッと手が伸びて、近くのごみ箱へと運べるのではないだろうか。

ごみ箱も「資源回収ポスト」と呼ばれるようになれば、きっと自然と誰かの手を離れたゴミが、他の誰かが資源として拾いポストへと運んで行くと思う。
最終的には、全ての人がゴミではなく、その手に持つものを資源だと考えるようになり、それが「当たり前」となる日が来ることを、切に思う1日となった。

 この日記に書かれている場所はこの辺りです