プロフィール
田中 陽希
たなか ようき
プロアドベンチャーレーサー
日本ロングトレイル協会アドバイザー
1983年6月生まれ
北の大地にあこがれた父の一言によって陽希(当時6歳)家族は北海道富良野市麓郷に移住。一年の大部分を雪と共に過ごす内にクロスカントリースキーに没頭する。明治大学に進学後もスキー部で活動。インターカレッジで入賞。大学卒業後、体育教員を目指す傍らアドベンチャーレースと出会い、冒険へと人生の方向転換を図る。
2009年世界スキーオリエンテーリング選手権大会日本代表。国内唯一のプロアドベンチャーレースチームであるTeam EASTWINDの主力メンバーとして活動中。パタゴニアンエクスペディションレースに2010年~2013年、2016年出場。最高位は2012年と2013年、2016年の2位。チームの目標は世界一。
2014年、前人未到の挑戦として、南は鹿児島県屋久島から北は北海道利尻島までの「日本百名山ひと筆書き~Great Traverse~」7,800kmの旅を208日と11時間で達成。2015年には、北海道最北端宗谷岬から鹿児島県の佐多岬までの新たな100座を、同じく人力のみで繋ぎあわせる「日本2百名山ひと筆書き~Great Traverse2~」約8,000kmの旅を222日で達成した。
プロジェクトに対する想い
海か山・・・迷いなく「山!!」
海か山どちらが好きですか? と聞かれれば迷いなく「山」です。
北海道富良野の大自然で育った少年期が、僕の原点になっていると思います。
クロスカントリーの
トレーニングとしての「登山」
父の何気ないひと言で移住した北海道・富良野。今から25年前でした。初めての登山は小学校六年生の学年行事で、母校の校歌にも出てくる「大麓山」でした。それ以外の登山といえば、当時のめり込んでいたクロスカントリースキーでのトレーニングで山に登るくらい。いまでいえば、トレイルランニングのような登山でしょうか。チームメンバーで競うように山頂を目指して登ったり、コースタイムをどのくらい縮められるかを一人で挑戦したりばかりで、ゆっくり景色を楽しみながら「歩く登山」は、長いあいだ忘れていたような気がします。
転機となった のんびりソロ登山
29歳のとき、ふと時間が出来たので祖父に会いたいと思い立ち、10年ぶりの九州へ。その時、まだ登ったことがなかった九州の日本百名山に登ってみようと、九州の屋根「阿蘇山・九重山・祖母山」の三山縦走の約150kmを2泊3日(テント泊のみ)のツアーを実践しました。一人でのんびり登山はこれが初めてで、新鮮な出来事の連続でした。
帰路の飛行機の中で、「百名山を徒歩のみで踏破したい」と思うようになったのは、その時の登山がきっかけです。時間が経つにつれて「やってみたい!」という想いが強くなり、さらに「海もシーカヤックで渡って、人力ですべてを繋げられたらおもしろい!」。
こうして2014年の日本百名山ひと筆書き ~グレートトラバース~ のプロジェクトが始動。約7800kmを208日と11時間で達成することができました。
日本3百名山ひと筆書き ~Great Traverse3~ プロジェクトに対する想い
日本2百名山ひと筆書きのチャレンジのゴールで「Next Challenge」と叫んだあの日から、2年の月日が流れました。次のチャレンジを模索する中で、時間の経過と共に、過去2度のチャレンジで登ってきた山々の思い出が頭の中を駆け巡り、また登りたい山、歩きたい町が次々に溢れ出てきました。
さらに、「日本の四季」を味わってきたと言ってきましたが、実際は「春夏秋」を主に歩き、登ってきたため、冬の山の厳しさや美しさを味わうことは未だにできていません。
再び日本を旅の舞台とし、その集大成とするべく、これまでの200座に新たな101座の山々を加えたトータル301座の踏破を目指す「日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~」。今、新たな旅がスタートします。