日記

登って安心
2019.09.12

台風一過により、9月としては記録的な猛暑となり、暑さを我慢しながら209座目の袈裟丸山(けさまるやま)について、情報収集をした。
本来、袈裟丸山は、2月に高原山の次に登る予定だったが、予想よりも雪が多かったことや、厳冬期に登ることが自分の技術を超えていると判断し、スケジュールを変更した。
それから8ヶ月が経過して、季節は全く変わり、袈裟丸山にようやく登る日が来た。

袈裟丸山は栃木県と群馬県の県境にあり、前袈裟丸山から奥袈裟丸山まで、小丸山(小袈裟丸)も入れると、袈裟丸山とつく山頂だけで、5つ(小、前、後、中、奥)もあるのだ。
最高峰は奥袈裟丸山で1961メートルだが、1878メートルの前袈裟丸山には、一等三角点があったり、みどり市やネット上の情報では前袈裟丸山を袈裟丸山本峰となっていたりと、最高峰に登るか、それとも前袈裟丸山に登るか悩みに悩んだ。縦走すればいいじゃないかと思うかもしれないが、実は前袈裟丸山から後袈裟丸山の間にある「八反張(はちたんばり)」という岩稜が崩落しているため、現在は通行禁止となっているのだ。わずか500メートルほどしかないのだが、前袈裟丸山も最高峰の奥袈裟丸山も登るとなると、登山は2日となり、さらに登山口が離れた場所にあることと、宿泊場所が限られることもあり、30キロ以上も余分に歩く必要があるのだ。

悩み続けたが、後々どちらか登らなかったことを後悔したくはないと思い、2日間かなりのハードな行程だが、1日目はみどり市小中より林道を32キロ走り、前袈裟丸山へ登る決断をした。
ロードだけでの1日40キロ以上は今回の旅でも何度かあるが、山を登ってのトータル42キロは今年に入って初めてのことだと思う。

夜明け前の4時半に宿を出発、真っ暗闇の林道を走る。まずは登山口までの13キロ、標高差は800メートル。登山口に7時前に到着、上出来の時間だ。
軽く腹ごしらえをしてから、早速登り始めた。富士山が見えるほど、気持ちのよい秋晴が、ハードな1日を後押ししてくれていた。

登って30分ほどで、谷間が開けた尾根に出た。見上げた先には、すでに前袈裟丸山が見えた。霞の無い透き通った青が心地よい。久しぶりのハードな行程に出発時は少し気負っていたが、気分も少しずつ上がっていった。

途中の賽(さい)の河原には、展望台があり、その横には袈裟丸山の由来が書かれていた。なんと袈裟丸山は、弘法大師が全国を行脚しているときに、赤城山を開山しようとしたらしく、山の神様が仏の地になることを嫌い、弘法大師に「一谷を隠して、九百九十九谷を現した、残りの一谷を探せ」と命じたという。しかし、見つけきれずに、いつしか赤城山から離れた今の袈裟丸山まで探し歩いてきていて、落胆した弘法大師は袈裟を丸めて山へ埋めたという言い伝えから、袈裟丸山と呼ばれるようななったとあった。それを読んで、今日1日の全てが報われた気がした。心から「登る決断をして心底よかった」と思った。

その後は賽の河原を抜けて、黄色いかまぼこ型の避難小屋の前を通り、小丸山の山頂からは、前袈裟丸山、後袈裟丸山、中袈裟丸山、奥袈裟丸山が等間隔に並んだ姿や、皇海山(すかいさん)、日光の山々を見渡すことができた。小丸山から30分ほどで、今日の目的地、前袈裟丸山にたどり着いた。日中も最高な秋晴が続き、下山も少しずつ色づき始めた木々に秋を感じた。

振り返り前袈裟丸山を見ながら、来てよかったと言うよりも「安心した」という気持ちが湧いていた。
先を急いで登らない決断をせずに、目の前の一座を大切にする姿勢が無くなっていなかったことに対しての気持ちだったと思う。
何のための挑戦であり旅なのか…。維持し続ける難しさはあるが、大切にしなくてはいけない。

下山後は、残りの体力を振り絞り、宿までの19キロを走った。
明日は、さらに厳しい縦走が待っている。

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