日記

山の日
2019.08.11

塩見小屋を朝4時にスタート。薄暗がりの中を、せっせと準備を始める。4時半には小屋の灯りもついた。慌ただしく他の登山者も動き出す。外で、パンをかじりながら出発に備えた。
日の出後の5時過ぎに小屋を出発。目の前にそびえる191座目の塩見岳(しおみだけ)へと早速登る。山頂は日の出を見るために暗い内から登っていた登山者で賑わっていた。塩見岳からは白峰三山(しらねさんざん)や南部の山々が見え、2日目の朝もいい1日になる予感を抱かせてくれた。
眼下には間ノ岳(あいのだけ)へと続く明瞭な仙塩尾根が見えていた。

塩見岳から駆け降り、花畑や樹林の中を気持ち良く歩き抜けた。すれ違う登山者の中には、TJAR(トランスジャパンアルプスレース)を目指している人も多く見られた。
懐かしい熊の平小屋にて軽く休憩をしていると、向かいに見えていた農鳥岳(のうとりだけ)方面に雲がわいていた。

三国平から、農鳥小屋へと続くトラバース道へ入った。雲はどんどんわき続け、昨日よりも山が隠れるのが早いと感じた。農鳥小屋に11時に到着予定だったが、トラバース中に、今日の農鳥岳登頂を諦めて、急ぐことを止めた。途中の水場で水浴びをして、この日の汗を流した。

農鳥小屋の前情報は賛否両論。山小屋のご主人に会うのは初めて。もちろん小屋に宿泊するのも初めてのこと。少し緊張しながら12時前に受付をした。想像していた姿とは違い、小柄で真っ黒に焼けた顔は、正しく山男、艶やかな優しい笑顔が印象的だった。とても親切な言葉使いで、受付をしてくれた。事前情報で勝手な想像をしていた自分自身を反省した。
午後は農鳥岳への登山を諦めて、通された離れの小屋にて、のんびりと過ごすことにした。

午後2時頃、雨が降り始めた。雨の中到着される登山者にはご主人からの労いの言葉が聞こえてくる。しかし、午後4時過ぎに到着される登山者には、厳しい声が聞こえてきた。
特に強く言っていたのは「あなたたちは自分の命を大切にしないのですね。」ということだった。つい数日前に北岳にて午後3時過ぎに落雷により、亡くなった登山者がいた。8月に入り南アルプスでは毎日のように午後から雷雨が発生していた。この日は雨だけだったが、雷雨になるかどうかは紙一重だと思う。白峰三山の縦走路は、日本で一番高い3000メートルの稜線。隠れられるところはない。標高3000メートルでは自分の生活圏とは全く違う世界であると思わないといけない。雲が早くにわいてくれば頭上に積乱雲が成長しているかもしれないと考えて行動することが大切だ。
雷雨から逃れるには近くの山小屋になるべく早く逃げ込むしか方法はない。

たった数回、ほとんどの登山者が初めて歩くであろう白峰三山。何十年も山を見続け、たくさんの登山者を見守ってきたご主人の言葉を重く受け止めることが大切だと思う。その場所を長年守ってきたご主人の苦労や思いは、誰もはかり知ることはできないのだ。その一時だけ、自分だけという身勝手な考え方から、たくさんの人を危険にさらすことになってしまうのが山であり、自然界だ。
元気良く農鳥小屋から出発された登山者を見送ってきたご主人、中には帰らぬ人になってしまったこともあると聞く。誰もが事故なく笑顔で帰路に着ければいいのだが、現実はそうではない。昔と今とでは、登山者も山小屋も大きく変わってきたと聞く。どちらが良いか悪いかではなく、山には自然界には守るべきルールがあると思う。山小屋がそこにあるから、初心者から経験者まで、老若男女たくさんの登山者がアルプスへと挑戦するチャンスがあるのだ。もし、山小屋が無かったら、山小屋が営業していなかったら、と思って登ったことはあるだろうか。
全国各地の山で旅を続けていると、山小屋の存在がいかに自分の登山計画の助けになっているかか分かる。無い山行では、登山者が必要とする技術、体力、経験が極端に上がるのだ。

一度は北海道や東北などの山小屋が少ない、避難小屋しかない登山を経験してみるといいだろう。いかにアルプスの山小屋が充実しているかに気づく。ご主人からのカツにケンカ腰になる登山者は一組もいなかったが、何組もの登山者が遅くに到着していた。これも夏の南アルプスの姿なのだろう。
夕方雨は上がり、たくさんの登山者が夕日に酔いしれた。

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