日記

熊野本宮大社
2018.07.11

日本一広い村、十津川村の十津川温泉より、小辺路(こへち)最後の峠となる果無峠(はてなしとうげ)へと歩き出した。
標高差は約900メートル、小辺路の1000メートルを超える峠越えの中でも一番の標高差となる。

熊野本宮大社手前にして最大の難所となる。きっと熊野古道を歩いた数多くの人々もきっと苦労しただろう。
入口から早速急坂が始まった。しかし、高野山からここまで歩いてきた古道とはどこか雰囲気が違う。石畳が続き、町石道で感じたような「生きている道」があった。その理由はその先の果無集落に着いて理解した。

標高400メートルほどの緩やかな尾根の上にあり、眺めは抜群、古道は田畑や集落の中を抜けていく。熊野古道が出来て、たくさんの人たちが熊野へと参詣し、人の流れができたことで、茶屋や宿場が建ち、人が集まり集落ができていったのだろう。そう感じる雰囲気があった。

立派な石垣の上に建つ家のご主人から話を伺うことができた。
生まれも育ちもこの果無集落というご主人。ここを訪れて、「良いところですね~」「こんなところに住んでみたいな」と外から来た人は言うそうだが…3日も住めば帰りたくなるのが現実だと笑って言う。景色はいいが、台風がくると家が飛ばされそうになるほどの風が吹くという。屋根と地面をワイヤーで結び飛ばされないようにするためのアンカーがあった。
今でこそ自動車道が出来て、町に出るにも車でサッと山を下りられるようになったが、30年前までは何をするにも古道を生活道として使っていたという。お酒を飲みに町へ下りれば、酔っぱらって足がふらふらになりながらも、急な坂道を登って帰ってきたそうだ。
住めば都というように、その地に住んだ人にとっては、当たり前のことであり、外の人が「不便ですね~大変ですね~」といっても、それも含めてのこの場所の良さがつまっているのだろう。
日本に二つとない自分の「ふるさと」を守りたいと思う気持ちはごくごく自然なことで、ご主人からはその気持ちを強く感じた。
いい出会いを頂き、果無峠へと向かった。

暑さはこの日も厳しかったが、終始林の中を抜けていくため、強い日差しを浴びることはほとんどなかった。古道沿いには西国三十三観音様が並び、本宮町へ下りるまで見守ってくれていた。本宮町に下りるとそこは和歌山県となる。熊野古道の小辺路は実はほとんどが奈良県だったのだ。
舗装路をしばらく歩き、三軒茶屋跡で中辺路と合流して、小辺路の終点となった。

さらに2キロに山間の中辺路(なかへち)を歩くと、いよいよゴールでもあり、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)へのスタートにもなる「熊野本宮大社」に到着した。
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)のようなきらびやかで豪華さは無いが、重厚感があり、やさしい雰囲気があった。きっと熊野古道を自分の足で歩いてきたことで、ホッとしたからかもしれない。宮司さんからお話を伺うと、熊野本宮大社はなぜこんなにも長い間たくさんの人が足しげく参詣にくるのか、理由を教えてくれた。
「熊野本宮大社は蘇りの地であり、そして新たな出発の地でもあるからです。」という。

新たな出発の地の言葉に、これから大峯奥駈道へと向かう自分が重なった。
出発地点となる川向こうの尾根を見上げながら、ここまで歩いてきてよかったと噛み締めた。

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