日記

篠山
2018.05.11

高知県と愛媛県の県境にある山間の御槙(みまき)集落、かつては旅館が3軒もあり、小学校に入りきらないほどの子供たちであふれ、林業が盛んで、材木を売って建てたという小学校は、鉄筋コンクリートのものとしては県内で2番目の早さだったという。
年4回ある祭りには、これから登る篠山(ささやま)と深い関係を持つ奉納相撲があり、篠相撲と呼ばれている。

また、昔からアケボノツツジが咲く季節となると、篠山の山頂はピンク色に染まったという。今年は例年よりも開花が早く、すでに咲き終わってしまったらしい。あと追うように咲くオンツツジがちらほら咲いていた。

江戸時代には篠山の山頂にあったお寺を参拝したお遍路さんが、山を下りて御槙を通り抜け、宇和島を目指したらしいが、なんと宇和島藩はお遍路さんに冷たく、藩領内は一週間以内に抜けなければいけなかったことや、主要街道を歩くことを許されず山越えの厳しい道を通らざるを得なかったそうだ。篠山にはその道が今も残っている。今回はその道を使って、篠山の山頂を目指した。

かつての遍路道はかなりの急斜面ではあったが、石垣が組まれているところがあり、当時の名残を垣間見れた。山頂手前には、道標となる古い石碑や石像も残っていた。
さらに、山頂には大きな領地を示す石碑があり、土佐藩と宇和島藩の境界だったことが一目瞭然だ。
宿毛に小さい頃に住んでいたという友人は「篠山に登るといったらかならず段ボールを持っていって、笹の斜面を滑って遊んだ。」と教えてくれた。しかし、今はシカの食害により、当時の面影はなくなっていた。
山頂で出会った方からも当時の話を伺い、笹だけでなく、アケボノツツジも力がみなぎっていたという。
ただ、山頂からの展望は素晴らしく、久しぶりに海の向こうにうっすらと九州を見ることが出来た。
多分、この旅で九州を見るのは、最後になるだろう。篠山からの眺めを目に焼き付け、篠山神社でお礼を伝えてから、再び御槙へと下った。1日の汗を流した祓川温泉(はらいがわおんせん)が気持ちよかった。

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