日記

福縁阡
2018.04.17

上下の町の分水嶺を越えれば、あとは瀬戸内まで一気に下るだけだと思っていたら大間違いだった。
出発から数キロ歩いたところで、交通量の多い国道から、旧道へと入るとたちまち静かになった。旅はこういう雰囲気の中を行くもんだと思っていると、道端に顔を出す一頭の牛に驚いた。よく見ると、乳牛のホルスタインだった。
九州から肉牛の黒毛牛ばかり見てきたので、久しぶりにホルスタインを見て、嬉しかった。なぜなら、北海道育ちの僕にとっては、ホルスタインの方が馴染み深いからだ。
牛を眺めていると奥からご主人が現れた。
この辺りの乳牛について興味があったので聞いてみると、代々この地で酪農を続けているという。
ホルスタインは涼しいところの原産のため、暑さに弱いことや牛にも性格があり、長年の経験から牛舎に入れるときの牛の並びにも気を付けていること、ご主人の牛乳は山陽牛乳へ直接卸していることなど様々なことを教えてくれた。
また、牛の寿命は想像以上に短く、乳牛も最終的には食肉として加工されることも初めて知った。それが畜産家の牛に対する最大の供養になると話すご主人の言葉が深かった。

そして、まさに乳牛としての役目を終えてしまうかどうかの瀬戸際の牛が一頭いるにも関わらず、笑顔で僕の話に耳を傾けてくださるご主人の人柄に触れることができた。
前日の夜に急に倒れてしまったという牛は、悲痛な声を出しながら、横たわっていた。診断をしていた獣医さんがこちらに来て、あまり状態が良くないことを表情が伝えていた。
恐る恐る「牛の容態は…」と聞くともうダメだと教えてくれた。その瞬間ご主人の表情が変わり、自分の胸に手を当てた姿が目に焼き付いた。
ご主人も何十年と酪農を続けてきて、人間に比べれば短命の牛たちを数多く看とってきたから、ダメだろうと分かってはいたらしいが、それでも命がまた一つ消えていくことに胸を痛めたに違いない…僕はその一瞬の出来事にそう思った。

大変な時にも関わらず、話をする時間をいただけたことに深く感謝をして、先に進むとすぐ先の駅でまた足を止めた。
屋根には鯉のぼりや黄色いハンカチ、看板にはケーキとコーヒーセット、うどん屋と書かれていて、外観からして普通じゃないとわかる駅舎があらわれた。
興味にひかれるままに中に入ると、気さくなマスターが話しかけてくださり、今年で80年を迎えるJR福塩線備後矢野駅(びんごやのえき)の歴史を紐解いてくれた。
ホームにあるなんともいい笑顔の布袋様から、屋根に設置されたパトランプ、無人駅になる予定だった駅を地域の憩いの場とした経緯など。話を伺いながら、川向こうの世話しなく行き交う国道の車を眺めながら、駅舎の中はゆったりとした時間に包まれた。

名物という三色の餅が入った福縁阡(ふくえんせん)うどんを食べながら、時間を忘れる自分がいた。たった数百メートルを歩いただけなのに、いい出逢いが舞い降りてきた。
布袋様の一目惚れするような笑顔から笑顔を頂き、新緑深まる道を南へ向かって歩き続けた。
また、明日もきっとあの駅舎で新たな笑顔が生まれるだろう。

 この日記に書かれている場所はこの辺りです

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