日記

吾が妻よ~
2018.04.12

標高1000メートルにある宿泊先のロッジから、24座目となる吾妻山は目と鼻の先程の距離。地元の人が、登山経験のない人でも楽に登れる優しい山と言っている通りだ。

山頂へと続く登山道脇には大小の池があり、水辺には水芭蕉が咲き、春を彩っていた。水面には青空と逆さまの吾妻山が写り込んでいた。
吾妻山は山頂からロッジ辺りまで、高い木がない。地元のガイドさんの話だと、古くは吾妻山を含む比婆山系では、砂鉄が採取されて、麓にはいくつものたたら場(製鉄所)があったそうだ。そして、製鉄する際に必要な燃料として山の木がたくさん必要だったために、吾妻山の丸裸になってしまったという。その後、砂鉄の採取がされなくなった跡地は、牛の放牧地となり、放牧されていた当時は今よりも美しい草原が広がっていたという。

また、ロッジまで登ってくるときには、昔使われていた街道を辿ってきたのだが、当時の名残も随所に見ることができた。(笹藪が深いところがあるのでオススメはしない)
さらに、古事記に記されている大昔日本が誕生する前の話も、ガイドさんより教えていただいた。話によると、比婆山には国造りの神話に出てくるイザナミノミコトの御陵(墓)があり、妻との別れを悲しんだイザナキノミコトが、吾妻山の山頂より「ああ吾が妻よ」と叫んだことから、吾妻山となったという。

比婆山が御陵ということで、昔は神域とされ、山に山頂に近づくことはおろか、山にはいることもできなかったそうだ。その為比婆山が良く見える周囲の山頂などに遥拝所(ようはいじょ)が5ヶ所あったという。
そのため、製鉄所があった頃も比婆山の木は切られることはなく、今もブナの原生林が残ったままとなっているそうだ。
実際に比婆山を見たとき、吾妻山や烏帽子山は山頂に木がないが、比婆山にはしっかりとあり、原生林も中腹まで残っているように見えた。

中国地方に入ってから、旅の中に、神話が登場することが多く、三瓶山から神話が山と深く関わってきたことを吾妻山でも知ることができて、誰も真相は分からないことだが、イザナミノミコトは何故吾妻山から叫んだのかを想像しながら山頂を目指した。

山頂までは本当にあっという間に到着、出雲の国が一望できた。
そして、イザナミノミコトが眠る比婆山を初めて見て思ったのは、すごくふくよかな形をしていて、女性らしい山だと感じた。
緩やかな谷を挟み、比婆山全体を一目で見ることができて、なおかつ山頂とほぼ同じ高さの吾妻山が妻への思いを届けるに、一番の場所だったのではないかと思った。

比婆山へ向かう際、僕も「吾が妻よ~」と叫ぶと、ちゃんと比婆山に反響してくれた。
春の日差しを受けてパチパチと春の知らせをする草たちが広がる大膳原(だいぜんばら)を駆け抜けて、不思議な石「条溝石(じょうこうせき)」があるという烏帽子山を経由して、イザナミノミコトが眠る比婆山へ向かった。大きなブナが広がり、ウグイスが鳴くなかを登って行くと、御陵がある山頂に到着した。
今もイザナミノミコトが眠るとされる石の周辺は神域とされ、立ち入ることはできない。

また、御陵を囲むように立つ樹齢1000年にもなるイチイ(北海道ではオンコという)の木の太さと存在感には驚いた。
イザナミノミコトが安らかに眠る御陵に手を合わせ、六の原製鉄所があったスキー場に向けて下山した。
九州では多くの霊山に登ってきたが、神話の山にはそれぞれ全く違う世界があると知った1日だった。

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