日記

益城町
2018.03.03

地震の爪痕をなおすために工事車両がいたるところで動く南阿蘇村から、益城町へと足を運んだ。
熊本地震は局所的だったといわれるように、震源地に近い、益城町や西原村が特にひどかったと聞く。2年ぶりに益城町へと入ると、仮設住宅や仮設の益城町役場が目に入ってきた。そして、少しずつ町の中心部が近づくと、解体中の益城町役場や解体が終わり更地になった場所が町のあちこちに点在していた。家の門だけが残る光景は、2年前の状況からの変化を感じさせた。中には、すでに建て替えが終わり、新たな一歩をきっている住民の方もいらっしゃった。

今回、偶然にも3月3日に毎年開催されているという「初市」という行事に巡り会うことができた。祭りのように出店が通りに建ち並び、雨でもたくさんの子供たちが笑顔で行き交う姿が見られた。その光景に、すごく嬉しくなった。
地震の恐怖からたくさんの子供たちから笑顔が消えたり、情緒不安定になったりしたという。南阿蘇村の友人のお子さんも地震から一年たってようやく怯えなくなったと聞いた。
子供は宝というように、子供たちが元気な町はどんなことがあっても立ち直ることができるんだと、教えてもらった気がする。

出店の中に長蛇の列があった。聞くと「初市の名物『市だご』を買うため」と教えてくれた。市だごとは棒状の餅をこし餡で包んだもので、江戸時代から続く初市で、おもてなしとして振る舞われたそうだ。あまりの人気であっという間に売り切れとなってしまうと聞いたので、僕も並んだ。30分ほどして、待望の市だごをゲットした。結構なボリュームで一本でも十分だった。お一人様3パックまで、一パック350円で5本入っていたのだが、全部は食べきれなかったので、ちょうど話しかけてくださったおばちゃんに、残りものをあげるのは失礼かと思ったが、笑顔で受け取ってもらった。昔は作っている店も多かったそうだが、今は地元の婦人会の皆さんが伝統を守り続けている。また、初市を地元では「だご市」と愛着もって呼ぶそうだ。

笑顔が溢れる益城町の方々の背後には、まだまだ復興途中だと感じる光景がその後も町のあちこちに見受けられた。当時のまま倒壊した神社や傾いた電信柱、仮設の給水パイプ、アスファルトの歪みなどなど…でも、少しずつ前進している姿を益城町でも確認することができた。

見て回るだけでなにもすることが出来なかった自分が町の皆さんの笑顔に逆に笑顔にしてもらっていた。
これから数多くの土地を周って行くなかで、自分に何ができるのか…深く考えながら、交流会会場へと熊本市内を走った。

 この日記に書かれている場所はこの辺りです