日記

昔と今の武甲山
2019.02.13

武甲山に登るのは4年ぶり、二度目となる。
武甲山は山の半分が石灰岩によりできていて、北側は主に3つの企業が採掘を続けている。麓の秩父市からみる姿は、まさにピラミッドのようだ。
10年以上前に、初めて武甲山を見たときは、すでに今の姿となっていたため、採掘される前の姿に興味を抱くことはなかった。
しかし、今回は違う。
登る前に、現在の変わり続けている武甲山の姿になる前の、忘れ去られていく姿、もう登ることも目にすることもできなくなった以前の姿を知りたいと思った。

調べてみると、市内に資料館があることを知ったが、昔の姿は予想していない場所で出会うことになった。それは、市内を見下ろす小高い山にある音楽寺(おんがくじ)に立ち寄った時だ。本堂の入り口に、今昔の武甲山の写真が飾られていた。

見比べてみてその違いに、驚いた。
今からは想像もつかない、大きな熊のような、ゴリラのような、堂々たる姿があった。どっしりと座り、町を見下ろしているようにも見えた。
どれだけ山を崩し搾取してきたかが、よくわかる。

寺の受付をしていた80歳を超えるお婆ちゃんに話をうかがうと、若いときはよく登ったそうで、大小様々な白い石が頭を出して、とても歩きにくかったと話してくれた。
今から60年以上も前の話だ。数少ない今と昔の武甲山を知る方に、今の武甲山を見ていてどう感じるかを伺うと、「情けないね~」と一言だけ返ってきた。
その言葉に、それ以上聞くことができなかった。
色んな思いや事情が詰まっている言葉だと思ったからだ。

それから、市内を流れる川から昔の武甲山を比べていると、明らかに標高が低くなっていることに気がついた。
午後に資料館へ行き、武甲山の元々の標高が1336メートルで、今よりも32メートルも高いことがわかった。自然活動で標高が変わる山は多いが、人為的に大きく標高が変わってしまった山は、三百名山の中では唯一かもしれない。
町から見上げながら、二度と登ることのできない山頂を空に思い浮かべる自分がいた。

 この日記に書かれている場所はこの辺りです