日記

大峯奥駈道再開
2018.07.19

大台ヶ原から戻り、再び大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)が始まる。縦走5日目は大普賢岳から山上ヶ岳(さんじょうがたけ)まで、日本で唯一となった女人禁制の山へとはいる。
役行者はなぜ四方に女人結界を設け、山上ヶ岳を女人禁制としたのか?謎を抱えながら、大普賢岳へと登った。

女人禁制とするくらいなのだから、山上ヶ岳への道のりはさぞかし険しい道のりになるだろうと思っていたら、鎖場や岩場はほとんどなく、美しく穏やかな自然が広がっていた。
阿弥陀ヶ森(あみだがもり)で女人結界をくぐり抜け、いよいよ女人禁制の世界に入った。女人結界の中に入っても特別何かを感じるわけではなかったが、自然の美しさは際立っていた。

山上ヶ岳の山頂には大きな大峯山寺(おおみねさんじ)の本堂があり、中には役行者が苦行ののちに感得したといわれる金剛蔵王大権現(こんごうざおうごんげん)が祀られているという。秘仏のために見ることは出来ないが、ここまで大峯奥駈道を歩いてくることができたことと感謝を伝えた。そして、住職さんになぜ役行者は山上ヶ岳を女人禁制としたのかを聞いた。すると意外な回答だった。
それは、「役行者は母想いで大切にしていたという、しかし、厳しい修行に打ち込むために、母への甘えを絶つために女人結界を設け、山上ヶ岳を女人禁制としたそうだ。この結界は親孝行のためだった。」と教えていただくことができた。単純に修験道の世界は厳しく、様々な欲に打ち勝つために女人禁制としていたと考えていたが、まさか母親との関係が深くかかわっていたとは思いもしなかった。
その後、山上ヶ岳から少し下りたところにある宿坊で一泊した。

山上ヶ岳には大峯奥駈道とは違う行場が数多くあり、古くからたくさんの講(修験者の集団)が山上ヶ岳に登り、表と裏の行場で行を行ってきたという。
その一つの生まれ変わりの行場が「西の覗き」といい、命綱を肩にたすき掛けして岩壁の上から身を乗り出すのだが、宿坊のご主人に勧められて、体験することになった。
スリルを味わったり、好奇心でやったりするものではないことを重々理解して挑んだ。なかなかできない経験で、終わった直後は放心状態だったが、久しぶりに腹の底から声を出していた。
明日はいよいよ最終目的地、奈良県吉野町にある金峯山寺(きんぷせんじ)だ。

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