日記

現存十二天守
2018.05.10

海と山に囲まれてコンパクトにまとまっている印象の宇和島市には、藤堂高虎によって築城した宇和島城がある。(天守などは後の藩主、伊達氏によるもの)

昨日、尻割山から見下ろした時も、宇和島城を含む山城の存在感はあった。宇和島城は現存十二天守の一つで、愛媛県には松山城と合わせて、2つもあり四国全体では4つもあることに驚いた。一つの県で2つもあるのは愛媛県だけだ。ということは日本一となるかな…。
また、現存十二天守の内部に入るのは初めての経験となる。山城らしい急な石段を登っていくと、青空に映える白塗りでシンメトリーな造りの宇和島城が現れた。小さいながらも、破風(はふ)などの装飾もあり、天下泰平のあとに建てられたからとの説明があった。

内部は、当時のままで、改修のあとはあるものの、木造の城に感動した。きしむ床板、急な階段、釘を使わずに組んであり、全てが新鮮だった。
また、天守からの眺めも宇和島の海と島々が見渡すことができた。
藩主伊達が代々、受け継いできた城に別れを告げて、篠山(ささやま)へと歩きだした。

 この日記に書かれている場所はこの辺りです