日記

上下と書いてじょうげ
2018.04.16

帝釈峡(たいしゃくきょう)から離れても、この日の目的地となる上下(じょうげ)の町へと続く道の左右には石灰岩が所々で目に留まり、かなり広範囲にわたって、石灰質の台地だということに気づいた。途中、無人の洞窟や岩陰遺跡に入り、近距離で冬眠中の無数のコウモリにビクつきながら見学をした。

夕方に上下の町に到着したのだが、そもそもここに来たいと思った理由は単純で、町の名前に惹かれたからだ。それと、町の中心部に分水嶺があることを知ったからだ。こんな珍しい町の名前は初めてだったから、由来を知りたくて来た。自分の予想ではきっと分水嶺が関係していると思っていた。
標高は400メートル足らずで、分水嶺としては低い。分水嶺の近くに住む人に、町の名前の由来を聞いても知らないという。
たずね始めて4組目で、町の名前の由来を教えてもらうことが出来、予想通りに分水嶺が関係していた。町の中心から上と下に水が分かれているからということだった。これで、一つスッキリすることができた。

また、上下は石見銀山からの銀の道でもあり、天領でもあったことから、当時の名残を感じる街並みとなっていた。白塗りの壁やうだつがあったり、物見櫓(ものみやぐら)
があったりと、当時はかなり賑わいがあったことを想像させてくれる。
また一つ、印象に残る地名が記憶に刻まれた。

 この日記に書かれている場所はこの辺りです