日記

雲仙普賢岳
2015.12.21

雨の中の出発になったが、水無川沿いを登山口に向けて歩いている途中に止んでくれた。
当初は、仁田峠までは車道を使って登る(片道22キロ)予定だったが、国土地理院の地形図を確認したところ、大野木場からの登山道が仁田峠まで続いていることに気が付いた。
ネットで調べると、平成15年に開通した大野木場仁田登山道だと分かった。
この道を使えば、普賢岳までの距離がかなり短縮することができる(片道11キロ)。

大野木場の登山口に向かっていると、全ての窓ガラスが無くなっている大野木場小学校前で足が止まった。小学校についての解説があったので読むと、1991年の雲仙普賢岳の噴火で発生した大規模な火砕流の熱風を受けて被災したとあった。人的な被害はなかったのだが、火砕流の直撃ではなくそれから発生した熱風で、ここまで被害を受けるのかと信じられない気持ちだった。

IMG_20151221_093405

噴火による戦後最大の人的被害は昨年の御嶽山噴火となったが、それまでは雲仙普賢岳の噴火が一番多かった。
資料館にも立ち寄り、当時の衝撃的な写真を見て自然と表情が険しくなった。当時、佐賀出身の父親がテレビに釘付けになっているのを見ながら、すごい黒煙をあげている山を思い出した。
これから登る山の大事な歴史に触れられてよかった。

大野木場仁田登山道はほとんど利用する登山者がいないのだろう、割と最近できた登山道なのに、予想以上に荒れていた。
雨は上がったが、樹林帯の中を歩く登山道はかなり蒸していた。

仁田峠に1時間ほどで到着した。ロープウェーイ乗り場で、先月通行止が解除された登山道があると聞いたので、情報を確認した。
標高1,100メートル近くある仁田峠はすでに雲に包まれ、本来なら見えるはずの平成新山は全く見えなかった。普賢神社で挨拶をして、参道のような登山道に進んだ。
先程まで蒸していた暖かさはなく、しっかり冬の山の雰囲気だった。

IMG_20151221_093405

直接普賢岳にいくルートもあったが、もしかしたら次来たときに解除された登山道がまた通行止になってしまうかもしれないと思い、遠回りになるが、風穴や立岩の峰などを回るコースを経由して普賢岳に登ることにした。
もしかしたら、間近に平成新山を見ることができるかもしれない。
これが棚からぼたもち的な勉強になった。

火山に多い風穴は年間を通して気温湿度が一定で、その環境を利用して、明治時代には絹糸の生産が九州でも盛んになった。というのも、原料となる蚕は温かい環境下では直ぐに孵化してしまうことから、蚕を九州中から預かり、この風穴で冬眠させていたという。また、火山の岩の中に溶岩が冷えたとき正六角形になる「柱状節理」を実際に見たり、高山や亜高山で生息する苔がここ普賢岳の風穴には小さい世界にたくさん生息していることなどを学んだ。(苔好きには嬉しい情報だ)

IMG_20151221_122047

そこから、標高を徐々に上げながら普賢岳山頂には午後1時に登頂した。
ガスガスの山頂で、目の前にあるはずの平成新山のダイナミックな姿は見れなかったが、予期していなかったことを色々知ることができただけでも、この山に来ることができて良かった。下山も同じルートを通って、島原の町に戻った。

IMG_20151221_132148

途中、中学校の前を通ったときに、子供を連れた親子からサインを求められて対応しているところへ、部活中の中学生が通りかかった。後ろでヒソヒソ話す声が聞こえる。
「有名人!?有名人!?」「テレビに出てる人!?」
親子と別れ歩いていると走って追いかけてくる中学生が
「すいません!テレビに出てませんか?」
と聞かれたので
「はい。出てますよ」
と答えるとゾロゾロと集まり、一人テンションの高い子が「有名人?有名人?有名人?握手してください!!」と連呼をする子が面白かった♪
疲れた顔をしていたが、最後は笑顔が戻って、宿についた。
さぁ明日は島原湾を濃いで戻るぞ~

IMG_20151221_151437

 この日記に書かれている場所はこの辺りです